南京そば、支那そば、中華そば、ラーメン・その3、正統派(?)中華そばの中身

  明治末期、東京にはチャルメラを吹きながら市内を徘徊する屋台のラーメン屋があり、浅草には「来々軒」という支那ソバ屋が出来た。

 ラーメンというの呼び方そのものは戦前からあったらしいが、先にも書いたとおり、ラーメンの呼称がポピュラーになったのは昭和も40年代以降。

  思うに、オースドックスな中華ソバは、先ず角型渦巻帯がついた丼に、あのチリチリ麺、あくまで澄んだ醤油味、シナチク、チャーシュー、海苔、緑色のホーレンソー、白い葱、ゆで卵の輪切りがある時もない時も。この彩りが一応定着し関東大震災後の40年ほど、さほど変化もなく横浜・東京風ラーメンである支那ソバ・中華ソバが、日本のスタンダードとして、全国的に愛され親しまれ、栄えていたわけである。

  あえてラーメンと名前を変えない中華ソバ屋が存在するのは、かの郷愁の”昔ながらの中華ソバ”を守っていこうとする気概なのであるかもしれない。