南京そば、支那そば、中華そば、ラーメン・その2、南京そばから支那そばへ

 私が、最初に食べたラーメン。昭和20年代だが、まだ一般にラーメンとはいわず、中華そばとよばれていた。ラーメンという呼び方が定着するようになったのは昭和40年代も後半からではなかろうか。

 そしてその麺は、昨日の写真に載せように、どこでもたいがいチリチリ麺で、入っている具はのり、ナルト、半熟たまご、シナチク、チャーシュー、ホーレンソ、きざみのネギくらいだった。まだ全国的には、サッポロの味噌ラーメンも九州の豚骨ラーメンも普及してはいなかったし、その存在も知らなかった。

 明治も中後期、横浜の広東省福建省出身者の多い華僑の住む南京街で、同じ華僑相手に供することで生まれた中国風の麺。日本人の客も増え、塩味だったスープも郷に入れば郷に従えのごとく、日本人の好みにも合うよう醤油味に変わっていく。南京ソバといわれた。最初は麺だけで具は何ものっていなかったという。

 やがてはっきりした時代はさだかでないが、シナチク(支那竹・メンマ)がのる、ナルトがのる、チャシューが入る、そして海苔がのる、ホーレンソーや葱、ゆでタマゴの輪切りがのる。今のラーメンの原形が出来上がるのが関東大震災後あたりだともいうが、ここら辺は諸説粉々。名前もいつのまにか支那ソバに変わった。写真は支那ソバで画像検索したもののひとつ。