写真とわたし・3、はるけきいとしきこどもたち・その1

 大学へ入って、クラブは写真部に入部。この時代だからむろんフイルムはモノクローム。私のカメラはヤシカの変哲もない35ミリの50ミリ標準レンズのみレンズシャッターカメラ。当時、クラブ員の所有カメラは、おおむね、ペンタックス派とミノルタ派の一眼レフに分かれ、その間にニコンやキャノンが少し交じっていた。わたしは、なんとも恥ずかしく他の皆がうらやましくて仕方がなかった。むろん、ヤシカのレンズシャッターでもちゃんと写真を撮れるのである。

 フイルム現像は、クラブの暗室と大型水槽で一緒にやってもらい、アルバイト代をためて、引伸機や半切のバットを購入し、下宿先でも引き延ばしを出来るようにした。クラブの活動としては、年2回くらいのクラブ展、クラブ全体で取りかかる組写真展、写真コンクールへの応募、毎月の撮影行、撮影会参加、合宿など。毎年1回の旅行合宿は、能登筑豊炭鉱、南房総へ行ったが、ほとんど中味を覚えていないし、記録も残っていない。

 写真は、その京都の学生時代に撮ったものだが、私の写真人生の中でも、最大傑作(?)のひとつ、輝きを失っていない。確かか何かコンテストにも入ったものである。モノクロームの写真はかくあるべき、半逆光のデティールが美しい。少女のはにかみの表情がなんともいい。モノクロームの少女微笑む寒椿