終戦記念日、「終戦よ いつまで続く 紅蜀葵(こうしょっき)」  



 終戦の日の記憶はないが、その後の長い貧しい困難な生活の体験があるから、それでも終戦というのは実感がある。今のヤング世代、例えばそのニュースを伝えているテレビの前の若いアナウンサー、甲子園球児たちなど、ほんとうのところは遠いはるか昔の、日露戦争や第1次世界大戦と同列の歴史上の出来事に過ぎないのだろう思う。

 ”終戦”なんて、今や多くの世代にとって、ピンとこないというは当然すぎることなのである。ちなみに日露戦争の終了は1905年、太平洋戦争終戦の40年前、第一次世界大戦の終了は1918年、こちらは太平洋戦争終戦のたかだか27年前に過ぎないのである。

 日本という国土・国民にとって太平洋戦争とその敗戦が未曽有で深刻な出来事だったことはわかるし、それは決して忘れてはならないことだろう。しかし爾来もう68年、それを乗り越え、問題は常に潜むものの繁栄を謳歌してきたのも事実である。

 80年たっても100年たっても”終戦”は続くのだろうか。甲子園では、8月15日、正午、サイレンがなって黙祷が行われるのだろうか。隣国の韓国や中国では、歴史の反省がない国に未来はないなどと叫びが続いているのだろうか?

 「終戦に 咲いていたのか 紅蜀葵(こうしょっき)」「終戦は いつまで続く 紅蜀葵(こうしょっき)」 −−紅蜀葵(こうしょっき)、別名、もみじあおい。フヨウと違い、葉の先が尖っている。