廃屋はさびし!

私の使っている辞書(「角川必携国語辞典」大野晋田中章夫編)には、廃屋について、−−手入れもせず、あれはてた家 とある。この状態は人が住んでいてもなりうるが、人が住んでいれば生活の香りが多少とも匂ってくるのが普通だろう。

 私の概念では人が住まなくなった無人の家のことである。特に管理人がいたり、前の住人が定期的にやって来て手入れでもしないかぎり、無人になった家はあっというまに荒れ果てる。雑草、木々が家まわりを覆う。そんな家を見るのはなんともやるせなく、空しく、寂しい。どの町・村にもある割合で廃屋があり、近年どんどん増加しているのではないか。

 県内でも軽井沢のような高級別荘地でも、廃屋でもう、屋根も陥没してるような家を何軒か見かける。無人・廃屋になる事情はいろいろあろうが、都市部へに人口集中で、特に、田舎、山間僻地ではその例が顕著だろう。

 こどもが都会へ出て行く。都会に居をかまえ、もう田舎に帰る気などない、年老いた両親を都会へ呼び寄せそれに応じるケースもあろうが、老親が田舎住まいの方がいいといえば、何年かたって二人がなくなれば、家は確実に廃屋になる。もっともこれは明治以降、何十年と繰り返されて来たことではあろうが。写真の家、ちょっとすざまじかった。

 「廃屋に みやこわすれの 咲くさびし」「廃屋に 蝮草咲く 気味悪さ」「梅雨曇り 雑草廃屋 覆いたり」