芥川也寸志とショスタコーヴィチ・その5

 ネット百科辞典ウイキペディアのショスタコーヴィチの項に、交響曲第11番は、1956年から作曲に取り組み、1957年8月4日に完成、と出ているので、二人の会談はやはり1956年なのだろう。

 最初はぎこちなかかった二人の会話もそれでも次第に打ち解け、ショスタコーヴィチは隅にあった古いピアノで自作を披露したり、芥川からも、日本に来てほしいこと、それに関するいろいろな相談をもちかけた。(その後、アメリカ・イギリス等は訪問、しかし来日は実現しなかったようだ。)

 更に会話は続いた。彼の家庭の話。日本の音楽会の話。「ヴァイオリン協奏曲」や「森の歌」の話。作曲家同盟大会の話。数日前に一緒に聴いた音楽会の裏話など...。

 「好きな外国作品は?」
 いとも簡単に「レスピーギのローマの泉。それからミヨーのフランス組曲。それから...ブリテンの作品。ポギーとベス、ガーシュウィン。それから...。」

 先のウィキペディアには、−−ソ連の芸術政策に少なくとも表面上は迎合し、分かりやすい音楽を多く作曲したため、難解な現代音楽が隆盛した20世紀のクラシック音楽界にあっては、珍しく大衆的な成功を勝ち得た稀有な作曲家のひとりとなったとも記されているが、私は前に、19世紀の最も偉大な作曲家がベートーヴェンなら、20世紀の最も偉大な作曲家は、ショスタコーヴィチになるかもしれない、と書いた。既に21世紀も10年あまり過ぎ、これから40年、50年、歴史は彼をどう評価するか。(おわり)

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 芥川也寸志(1925〜1989)は、作曲家・指揮者。文豪・芥川龍之介の三男、生まれてから2年後の1927年に父・龍之介が自殺したので、父の実像は覚えがあるかどうか。也寸志は父の遺品であるSPレコードを愛聴し、とりわけストラヴィンスキーに傾倒。兄弟で毎日『火の鳥』や『ペトルーシュカ』などを聴きながら遊び、早くも幼稚園の頃には『火の鳥』の「子守唄」を口ずさんでいたという。兄は俳優・演出家の芥川比呂志(1920〜1981)。