芥川也寸志とショスタコーヴィチ・その3

 芥川はこの本の中で、ショスタコーヴィチに会ったのは3年前と記している。本が出版されたのが1959年(昭和34年)なので、1956年ということになるが、1954年に入国した際に会ったことなのかその辺はわからない。1956年として、ショスタコーヴィチ50歳、芥川31歳である。

 かっては青年作曲家としてその名を馳せたショスタコーヴィチもだいぶふけこんでしまった。少し八の字に垂れ下がったショボショボしたまゆげが、それを一番強く感じさせる。うすいくちびるからパラパラ豆鉄砲のように早いロシア語が飛び出してくるたびに、まぶたとほほの筋肉が微妙なけいれんをおこして、彼独特の表情を作り出す。たしかに彼はサッカーが好きでたまらないらしく、この話が続いている間、うすい唇をななめに曲げて薄笑いを続けていた。−−と芥川は描写を続ける。

 ショスタコーヴィチはこの会見から更に20年近く生きる。没年は1975年(昭和50年)だから、まだソ連の体制は続いていた。1950年代後半から晩年にかけては、交響曲、協奏曲、室内楽曲、さらには声楽曲で傑作を多数残した。

 私の好きなピアノ五重奏曲は1940年の作品であるが、交響曲の第11番以降、弦楽四重奏曲の第8番以降は、1956年以降の作品である。ところで、想像するのだが、芥川也寸志ショスタコーヴィチと話しを交わした日本で唯一の音楽家ではなかろうか。それもモスクワで。