芥川也寸志とショスタコーヴィチ・その2



−−絶えず何かにおびやかされているように、目玉をせわしくきょろつかせている、見るからに気の弱い神経質そうなこの男。ポケットからタバコを取り出す。ちょっとけいれんするような手つきでさぐりあてた一本を口にくわえると、あわただしくマッチをさがす。あっちのポケット、こっちのポケット...。−−

 その動作はまことせせこましく...。芥川の描写するショスタコーヴィチはいかにも神経質で落ち着かない、大家然としたところなど少しも感じられない男である。

 ネット百科辞典、ウィキペディァには、芥川也寸志は、1954年(昭和29年)、当時まだ日本と国交がなかったソ連に自作を携えて単身で密入国ソ連政府から歓迎を受け、ショスタコーヴィチハチャトゥリアンカバレフスキーの知遇を得、ついには自分の作品の演奏、出版にまでこぎつけた。当時のソ連で楽譜が公に出版された唯一の日本人作曲家である。−−と出ている。