世界史の謎?日本でなぜ馬車が発達しなかったのか?その1

  以前、「逆説の日本史」などの著作で知られる伊沢元彦氏の講演を聴く機会があった。日本やアジア各国の道路の舗装率などの言及から、日本では古来より馬車が発達しなかった、これは世界史の謎の一つと捉えられているという話しになった。優秀な民族と思われている日本人がなぜ馬車に乗らなかったのか、馬車を発達させなかったか大いに疑問がられているということのようである。

 この講演を聴いて以来、私もこの問題にいわばとりつかれている。いろいろなことが複合的に合わさった結果、そうなったのだろうが、どうも納得出来るものではない。いづれ、私の発行しているメールマガジン安曇野(あづみの)通信」の中でも書きたいと思っている。

 中国ではもう古い春秋戦国時代に馬を使用した戦車も、運搬用の荷馬車も登場している。伊沢氏は中国と交流があった日本が、それを知らない筈はないという。また、施政者がその発達に圧力をかけるようなこともあったかもしれないとも言う。

 馬車の発達を阻害するようなさまざま要因は、これから述べるが、駕籠のような人力にたよる非能率な運搬方法がなぜ長く続いたのか。馬にクルマを引かせる発想が何故出来なかったか。鉄砲伝来、そんなに年数を経ず、自前で鉄砲を作り出した日本人である、車輪の改良などやろうと思えば出来たにあろうに...。