猫も杓子も....

 この頃、”日本語”にはまっている。ことわざ辞典なども実に面白い。トイレなどに置いておいて、一つ二つ読むのもいい。

 猫にまつわる故事ことわざ慣用句は数多いが、「猫も杓子も」もそんな一つ。意味は誰も知る通り、何もかも、誰も彼もみなということであるが、この言葉が使われる場合はたいてい皮肉っぽい揶揄な表現、あまりいい意味では使われない。

 ではなぜそれが、猫も杓子もなのか?これはどうも、日常、良く目につくざらにあるものの代表例のようである。出典は、『一休咄』と書いてあった本(「スーパー実用ことわざ辞典」・東京書店)もあったがはっきりしない。すでに江戸時代に、その出典等を調べた学者もいたようだ。

 猫と杓子を並べたのは、猫が何かにじゃれつくときの前足の形が、杓子と似通って見えることからの連想したものと思われると、記述した本(「動植物ことば辞典」・東京堂出版)。女も子供もの意味の「女子(めご)も弱子(じゃくし)も」、また神も仏もを意味する「禰宜(ねぎ)も釈氏(しゃくし)も」などの語源説を紹介した「(故事ことわざの辞典」・あすなろ出版)といろいろ。

 杓子(しゃくし)とは、飯を盛ったり汁などをすくったりする道具であるが、現在、日常生活の中では、道具として”しゃくし”という言い方はなかなかしないのではないか。むしろ、同じことわざの「杓子定規」の方が良く使われる。お玉は、本来「お玉杓子」(おたまじゃくし)なのだが、ほとんど後ろの杓子が取れて、お玉(おたま)だけで通用している。だからおたまじゃくしとは、蛙の子とだけ理解している人も多かろう。また飯を盛るのはじゃもじ、杓文字と書く。結局のところ、出典も語源もはっきりしないが、ことわざ辞典などを次々とめくって読むのは楽しいものである。