「早春のここ北細野おかめ様往時のにぎわい今伝説に」(作成中)、「あの日あのとき・想い出断片集」

 市民タイムス3月27日号に「ぶらり駅前」に大糸線北細野駅と鈿女(ウズメ)神社のことが、取材現場で何回か会って知っている片岡望さんの署名記事で載っていた。アンクル2011年3月の取材記を思い出し、メールマガジン安曇野(あづみの)通信」2011年3月15日号から紹介。

 信州・松本から大町・白馬方面に通ずる国道147号線。大町・白馬方面へ行くメーン道路。私は東山か西山の山麓線を通ることが多いので時々しか通らないが、たまにクルマを走らせた折りなど、安曇野市大町市に挟まれた松川村の中ほど、国道と平行するJR大糸線北細野駅あたりの道路脇に”鈿女神社”という表示板が出ているのを見て、なんて読むのだろう、何を祀ったお宮だろうと前々から思っていた。

 そのお宮の森と社は、村々の鎮守の森よりちょっと大きいくらいだったが、境内にあった説明板で、ウズメ神社と読むことがわかった。鈿の字は日常ではなかなか見かけない漢字である。祭神は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)また創祀は明治年間で、昭和前期にかけて福利厚生に霊験ある神として、「おかめ様」の愛称で親しまれ、多くの信仰者を集め、にぎわった神社であると、説明文に。

 天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、天照大神(あまてらすおおのかみ)が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、岩戸の前で裸踊りをし、天照大神を岩戸の中から誘い出した女神である。その故事から神楽大明神とも言われ、音曲や安産、商売繁盛、また招福、開運などの象徴として縁起を担ぐ多くの信奉者から「おかめ様」と親しみと懐かしみを込めて呼ばれ、信仰が広まったとされる。

 ネットのウィキペディアや検索した八ヶ岳山麓『四季徒然』等の記事によれば1930年(昭和5年)には、付近を走る信濃鉄道(のちの大糸線)に松本・大町方面からの参拝者のためにおかめ前駅が作られ(国営化時に北細野駅と改称)、最盛期には門前に20軒ほどの茶屋や土産店も軒を並べていたが、支那事変などの戦雲が垂れ込めるにつれ衰退、と載っていたが、現在の周辺の様子では、往時のにぎわいなど想像出来ない。鈿女(ウズメ)神社は、長野県北安曇群松川村細野大泉寺、JR大糸線北細野駅から600mほど。



 「あの日あにとき」、14.05、
 松本市美術間水のさんぽ社での画伯氏、LPP。浜松在住の友野可奈子さん。去年会った可菜子さんとどうしてもイメージ重ならない。