りんごの花、りんごの摘果・2

 ところでりんごの摘果(てきか)という作業がある。信州一帯のりんご農家はその季節になると家族総出でおおわらわ。開花のときもするが小さな実がなった時にも行う。摘果は、間引き、いわばおろぬくわけで、いくつかの実の中から育ちのよいものを残す。

 一年のスケジュールの中で、必ずしなければならない作業で、しかも一定の時期内に済ませてしまわなければならないので、りんご農家にとっては手のかかるハードな仕事である。この作業をちょっとでもやってみると、一本の木さえ全部もれなく摘果するというのも実に大変なことだとわかる。

 脚立や枝先に登ったりしての作業。少し遠くからみると、摘んでない実が残っているのがわかるけれど、その場所あたりに近ずいてみると、これがどこだかわからなくなるのである。これをくまなく捜すのも実に根気のいる作業なのである。高所作業車を導入している農家もあるが、摘果のもれを防ぐため何回かに分けてやっているようだ。かって、私が住んでいた家にもりんごの木が3本あり、実体験としても感じがわかるのである。

ところで、私たちの生活や仕事のなかにも、これに類することがよくあるなと、自然の比喩にクスッっとしてしまうのである。日々の雑然、喧騒のなかにばかりいると、 大局、大きな流れがわからない。といって離れてばかりいては、細かい事象、真の姿をつかみきれない。只々、日常の中にだけ埋没するだけでなく、スタンスをかえてものをみる、考えみるという必要があるなと痛感している。