オリンピックの思い出

 生涯、自国開催の4回のオリンピックに遭遇しようとは思わなかった。ほんとう、ラッキー・幸せというものだろう。東京、札幌、長野、そしてまた東京と。先の1964年の東京オリンピック、開会式の真っ青に晴れ上がった空に聖火が燃え上がっている光景、東洋の魔女、女子バレー、ソ連との決勝戦の場面、印象に焼き付いている。

 1972年の札幌冬季オリンピック、夢中になってテレビを見ていたのだろが、今となれば特に印象の場面、正直あまり記憶がない。1998年の長野冬季オリンピック、私としては、当時長野市に住んでいて、仕事上、サポートのサポートという立場でかかわった、またいくつか競技を直に見てとりわけ印象深い。

 サポートのサポートというのは、私のいた会社は通信サービスを担当していたので、各地から技術者・要員が集められた。その要員の世話をしたということである。空いていた研修寮を宿泊場所に使い、宿泊食事入浴、移動の一切をサポート。24時間体制だった。

 スピードスケート、アイスホッケーの試合などをいくつか見たが、フィギャースケートは人気でチケットもとても高かった。閉会式の時、長野県歌、信濃の国のマーチで、選手が行進したときは晴れがましくもうれしかったものである。期間中、長野駅のコンコースが人であふれ、まるで新宿駅か渋谷駅のようだった。こんなこともこれが最初で最後だろうと思ったものである。