芥川也寸志(1925〜1989)とドミートリー・ショスタコービチ(1906〜1975)・その5(追補)

 芥川也寸志(1925〜1989)は、作曲家・指揮者。文豪・芥川龍之介の三男であるが、生まれてから2年後の1927年に父・龍之介が自殺した。

 ウィキペデアに載っているところによると、芥川にはうたごえ運動の指導者という側面もあった。1953年の『祖国の山河に』(詩:紺谷邦子)は広く歌われた。また、音楽著作権関連の活動では日本音楽著作権協会JASRAC)理事長として音楽使用料規定の改定に尽力。純粋な音楽活動のほかに、社会的分野などでも精力的な活動を行った。

 快活な人柄で知られ、姪からは「はるかぜおじさん」と呼ばれていたとか。生涯、3回結婚、2度目の妻は女優・草笛光子である。(1960年に結婚、62年に離婚)

 1989年、東京都中央区国立がんセンターに入院中、肺癌のため逝去。最後の言葉は「ブラームスの一番を聴かせてくれないか…あの曲の最後の音はどうなったかなあ」だったという。