東(ひがし)は、なぜ”ひが”しなのか?

 東を”ひがし”といい、西を”にし”と言う。同じように”みなみ””きた”。このように呼ぶようになったのには、それなりの理由がある。別に中国から伝わってきた訳ではない。確かに後から伝来した同じ意味の漢字、東西南北を当てたのであろうが。

 普段は、ひがし・にしなど、言葉のなりたちをいちいち疑問に思ったりしないのだが、言語学者大野晋さんの著作「日本語をさかのぼる」(岩波文庫)を読んいて、この答えと目されることに出くわした。

 これは方角のうち中心的な四方、東、西、南、北を日本人は、どのように把握し命名したかということである。インド・ヨーロッパ語族の諸言語では、東を表現するのにおよそ二つの把握の仕方があったという。その一つは。「夜明け」「朝」「日の登る方向」。二つ目は、「前」「正面」として捉えるもの。

 夜の暗い恐怖に満ちた時間を過ごさなければならなかった古代の生活では、朝日の登るのを待ち望む心は切実だったろうし、夜明け・朝・日の光の方角という語が、東という方角を示したのは極めて自然。各言語で東を意味する言葉が、日がのぼる、特に夜明けの日が登る、夜が明ける、朝の意味であるのは頷けるという。
 
 待ち望んだ朝の光が厳粛に登りはじめたとき、人は自ずと東に向く。人がその方向を、前面、また正面と把握したのも自然なことだというわけである。例えばサンスクリット語アルタイ語族の一部も、東を、正面に、前面にとした捉え方をしているようだ。

 これらのことを見れば、大野先生は、日本語の”ヒガシ”の命名の由来は明瞭だという。すなわち、ヒガシの古形は、”ヒンガシ”、更に古くは”ヒムカシ”、これは「日-向-カ-シ」の複合語、シは風の意味で、風とか息の意から方向を言うようになった語で、「ヒ-ム-カ-シ」は「日に向く方向」で「東」にな
ったと述べる。

 また東は、ヒムカシだけでなく、ヒノタテとも言ったようだ。万葉集52に−−大和の 天香具山は 日経(ヒノタテ)の大御門(オホミカド)春山としみさぶてり--他が載っているようで、ヒノタテは「日の縦(タテ)」、タテ立タ(タタ)の変化形、タタは立つこと、すなわち登ること、「ヒノタテ」は「日の登るところ」東を指す言葉だというわけである。もっとも現代にはこのいい方は残っていない。