モーツアルトの死とベートーヴェンの死

 
 音楽史に燦然と輝くモーツアルトベートーヴェンだが、その死とその弔われ方についていえば雲泥の差がある。ちなみに今年はモーツアルト没後221年、ベートーヴェン没後185年である。

 モーツアルトは、なんと殺されたかのも知れず、見送る人もごくわずかならどこへ葬られたかもよくわかっていないということのようだ。モーツアルトが暗殺されたのではないかといううわさは、もうその当時からあったようで、しかも体制側(当時、オーストリアはハブスブルク王朝の治世)が、その正否(即ち死因及び遺体の所在等)をわからなくするようななんらかの工作をしたのではないかということさえいわれているのである。

 一方、ベートーヴェン、最晩年はさびしいものではあったが、どんな王侯貴族も歴史上のいかなる芸術家も及ばぬ国民葬ともいえるような壮大なものになった。特にウイーン市民にあまねく周知されたわけでもないのに、訃報はあっという間に市中を駆けめぐった。そしてベートーヴェンの死は、ウィーン市民に大きな衝撃を与えた。

 葬儀の日、予想もしない2万人をも越える大群衆が駆けつけ彼の家の前の広場を埋めつくした。そんな広場の様子を描いたフランツ・シュテーバーという人の絵が残っている。集まった人々の圧力で、出棺もままならず、騎馬隊の出動を要請する騒ぎになったほど。また休校になった小学校もあったといい、まさに市民総出の祭典であったのだろう。

 教会へ、墓地に向かう葬列の中には、きっとシューベルトもいたのだろう。シューベルトはその翌年短い生涯を終えるが、敬愛するベートーヴェンの隣りに葬られた。

 なお、ベートーヴェンの葬儀の時の模様は、バーナ−ド・ローズ監督の映画「不滅の恋、ベートーヴェン」によく感じが出ているという。