句会の功罪

]  今、私も句会に入っている。アルプス句会という。講師の先生の人柄もあり、ざっくばらんで和気藹々としたムード。他の句会の様子がどんなものかわからないが、属する句会の成立過程もあり、私は句会の内容そのものより、むしろ同好の他の人との交流・コミュニュケーションの場として愉しんでいるというところ。

 小説家、森村誠一氏の「森村誠一写真俳句のすすめ」という本を読んだ。写真俳句、またフォト俳句、私も時折試みているが、俳句にプラスしてなかなか楽しく面白いものである。その森村誠一写真俳句のすすめ」の写真俳句上達の秘訣の一つに、句会には出席しないというのがあった。

 森村氏は言う。−−句会に出て、自分の作品を多数の批評者によってずたずたに切り刻まれると、自信を失う危険性がある。句会によって学ぶ知識や技術よりも失うものの方が大きい。せっかく優れた感性をへたな批評によって切り刻まれると、感性まで傷つけられてしまう。本来、俳句は切り刻むものではない。

 そして更に続ける。俳句結社に参加することは良いが。結社はあくまで俳句会の小さなコミュニテーであり、俳句の広大な宇宙の極小単位に過ぎないことを前提にすべきである。結社に安住していると、井の中の蛙になる恐れがある。

 区会それぞれに個性があるだろうが、そういうことは確かに雰囲気がわかる。私も思う、俳句命の人には俳句の世界しか見えないかしれないが、別に表現方法は俳句だけに限らないのであることを認識すべきである。句会という社会だけのひとりよがりであってはならない句と思う。