遊びの伝承と分断

 同年配が集まって話しを交わしているときなど、ふと少年時代のことに話題が飛ぶことがある。野山を駆けめぐって自由に遊んだ日々のことが、昨日のことのようにほんとうに生き生きと語られる。少し年代が違ったり、育ったった土地が変っても、たいがい同じようなことしていたのだなとわかる。

 遊びにしても、野山を駆けまわったことその術や技も誰も教えてくれたものでもない。こどもたちが自然に体得したことであり、またこどもたち同士で次々と伝承したものである。もっとも親たちにしても何十年前に同じことをしていたに相違ないが。

 ところでこの遊びと体験のサイクルは、今となっては農村においても完全に近いほど分断されているのではないだろうかと思う。もっともこれは、こども自身に責任はないのだが、おとなとその社会の仕組みがそうしているのだけれど、一事象的にゲーム機や塾のせいにしてもはじまらないが..。