”出来れば唇にキスを.....”

 1822年、ベートーヴェンが弟のヨハンに送った手紙が残っている。その一節。

 「1822年9月8日、日曜日、・・・二人の女流声楽家が今日訪ねてきた。二人ともかなりの美人で、どうしてもぼくの手に接吻しようとしたから、それよりぼくの口にしてくれないと頼んだよ。以上のようなことが、君に知らせる最近の主な出来ごとである...。」

 研究者によれば、この二人の女性はカロリーネ・ウンガールとヘンリエッテ・ゾンタークだとされる。二人とも当時ウイーンにいた声楽家で、1824年ベートーヴェンの「ミサ」と第九シンフォニーの演奏にソロのパートを受け持ち、晩年のベートーヴェンには、ある程度近い関係にあった女性。
 
 1822年といえば、ベートーヴェン52才。さすが激しかった恋愛の時代をは過ぎて、いわばそういったものの後の静かな安息の時代だが...。

 このとき彼女らは22才と16才。快活な、ハツラツとした若い二人は、ときどきベートーヴェンを訪れて、劇を語り、音楽を論じ、いっしょに散歩したりシュンプルンやブラーター(地名)に遊んだ。こうしてうちとけて親しんだ彼女らとの交際の中に、青春の恋のひととき・追憶の日々を投影していたのかもしれない。