湖の対岸と自己背反


 先日、信州中部の湖のある高原、聖高原へ友人ととあるイベントで出掛けた。私としては3、4年ぶりというところである。以前実家のある長野と松本を往来するためなど、ここを通ったことが何回となくある。国道403号線、千曲市から麻績村へ抜ける峠のようなところ、さして広くないこじんまりとした高原だが湖を草原と森が囲んでいる。スキー場もある。

夏休み、手前のイベント会場、湖対岸の気持ち良さそうな草原と木陰、くつろぐ人々。信州の中ではメジャーな行楽地ではないが、シーズンということもあり普段よりだいぶにぎわっている。小さな湖の向こう岸の風景を見ていて、ふと、今までここへは何回も来ているが、むこう岸側に一度も行ってないなあ、行ってみようとも思わなかったことに気づいた。それは多分に、ここに来るのは最終目的ではなく通過中の立ち寄りポイントであったこともあるかもしれない。

 ともあれ、以前、書いていたこと言ってことと実際自分がやっていることと違うのでないかと思い、その自己背反が大いにおかしくなった。それは...。

 仲間や家族で行楽に出かける。比較的近くの市民の行楽地といったところには、周期的にもたびたび行くことになる。何度も行ったりしていると、頭の中でそこのイメージを作り上げてしまっている。そのせいか、いつも決って、その観光地のいわゆるメインの所にしか足をむけない。

 例えば長野市から車で3、40分、飯綱高原の大座法師池、市民の手軽な行楽地だ。入り口の草原は土、日などけっこうにぎわってる。炊飯の施設もあり白樺の草原で焼肉にビ−ルの口角泡を飛ばすグループ、バレーボールやバトミントンに打ち興じる人々がいっぱい。

 しかし、国道脇の草原のにぎわいをよそに、池の対岸まで行ったり、回りをぐるりと歩く人は少ない。またこの池の近くには、ほかにも眺めのいい池がいくつかある。コースから、少し奥へ足を延ばせば、思いがけないすばらしい景色や体験に出会うことがある。

 この文章を書いたのはだいぶ昔のことなのだが、この時は、こう結んだものだ。−−−ちょっとした好奇心や冒険こころを持ったことで、普通なら見過ごしてしまいそうな新しい発見をすることもある。そう気がついてから、といってもこの数年のことだが、家族などででかけるときも、ほんのちょっとした探検心、冒険心を忘れないように努めている。